音羽の自然と歴史その5

岩坐(いわくら) 

 
 

四ノ宮・諸羽神社境内の一角に,「岩坐(い わくら)」と呼ばれる石があるのを知っているでしょうか。この石は「しめ縄」が張ってあって,人々の信仰の対象になっています。石の種類をみますと,どうも京都付近に多い種にあったものだろうと思われます。
大昔の縄文時代は狩猟・採集の時代だったので,人々にとっては,山は,獣(けもの) の住む「こわい所」であったのでしょう。また弥生時代になると米作が始まったので,山からの水が田畑を潤して作物を実らせてくれる「ありがたい所」でもありました。だから大昔の人たちは「山に神様がいる」と思って,山に手を合わせておがんだりしていたのでした。これを「山岳信仰(さんがくしんこう)」と言います。
こうして,山の神様をおがんでいたのですが,山のどこに神様がいるのかわかりません。そこで,山に入って大きな岩などがありますと,「きっとこの中に神様がおられるに違いない」と思って,だんだんとその岩を神様のおられる所としておがむようになってきました。そうした岩のことを「岩坐(いわくら)」と呼びます。こうした「岩坐(いわくら)」は,四ノ宮の諸羽神社のほかに,山科には小山の白石神社,大宅の岩屋神社,西野山の山科神社,日ノ岡の日向神社など5つがあって,それぞれが大変歴史の古い神社となっています。
 さて,そうして山の神様をまつっていたのですが,時代が過ぎますと「野ざらしではかわいそうだろう」ということで,建物を建てまして,そこに神様をおまつりするようになりました。これが日本の神社のはじまりと言われています。862年に造営された諸羽神社は,昔は二人のご神体をまつっていたので「両羽(もろは)大明神」と呼ばれていたそうですが,室町時代の終わり頃に他のご神体もまつるようになって,「諸羽神社」と改められるようになったということです。

(記事 S.A)

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