音羽の自然と歴史その6
琵琶石と四ノ宮(びわいしとしのみや)
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四ノ宮・諸羽神社境内の一角には,もう一つ,「琵琶石(びわいし)」という石もあります。今回は,この琵琶石にまつわるお話です。この石は,昔,人康(さねやす)親王という人が,この石にすわって「琵琶(びわ)」という楽器をひいていたという所から名前がつけられました。人康親王という人は,今から1200年ぐらい前の平安時代の天皇であった仁明(にんみょう)天皇の四番目の皇子さんでした。その四番目の皇子さんがこの辺りに住んでいましたので,当時は皇子さんたちのことを「宮さん」と呼びましたから,「第四の宮」ということで,「四ノ宮」の地名がついたと言われています。この人康親王は,はじめ高い位についていたのですが,目が見えなくなるという病気になって,そのためお坊さんになって,山科のこの土地に山荘を建てて静かにすごしたと言われています。この人康親王は,楽器の琵琶がたいへんじょうずで,琵琶を弾いては心をなぐさめていたと言われています。百人一首で有名な蝉丸(せみまる)というお坊さんも,その弟子か友だちだったと言われています。そのために,のちの世になって,人康親王は「琵琶法師たちの祖先」とされたのです。また,人康親王の心をなぐさめるために,京都の貴族たちが,全国各地からめずらしい庭石を贈って庭に水を引き入れ池をつくったりしたそうです。現在,諸羽神社の境内に「人康親王山荘跡碑」というのが建っていますし,人康親王が座って琵琶を弾いていたという「琵琶石(びわいし)」が残されているのです。徳林庵のお地蔵(四ノ宮地蔵)さんの安置されている所の右奥には,「人康親王蝉丸供養塔」というのもあります。(注)「四ノ宮」という呼び名については,別に「山科第四の宮」(第一は大宅岩屋神社,第二は西野山山科神社,第三は東野三之宮神社,第四は四ノ宮諸羽神社)から来たという説もあります。
(記事 S.A)