校名由来

 

  明治2年11月11日大仏耳塚の北側を校地として正面校という名で開校したが,豊国神社造営のため学校を現在地に移転することになった。明治11年,槙村正直京都府知事が臨席し,「貞教」と命名された。
  これは中国古典の「四書五経」の「礼記」の文の一節にある『章志貞教』からとられたものである。「志をあきらかにし,教えをさだめる」ことで「貞」はただしさだめる,「教」はおしえみちびく,『貞教』は正しく教え,または貞節を重んじることを教えるの意味をもつと解され る。
  また,「ひょうたん桐」の校章は豊太閤にちなんで,明治9年に制定された。