卒業するみなさんへ

 音羽小学校 校長 田上 恭史 

 先生が皆さんと初めてであったのは,昨年の三月二十九日の事でした。着任式で出会いました。その時,私は「未」という漢字が好きだと言う話をしました。「未」は「未来の未」であり,「まだ,〜〜できていないことを表す」と。しかし,「これからできるようになる」「努力すれば実現できる」というお話をしました。始業式では「一」について話しました。一番大切な言葉として話しました。一人きりの自分,一つしかない命。誰もがかけがえのない「一」であることを話しました。小さい小さい「一」だけど,みんなが力を合わせれば大きな大きな「一」にすることもできると話しました。

 卒業していくみなさん。私たちは,何か行動をするとき,考えたりするとき,また,うれしいと感じたり,哀しいと思ったり,腹を立てたり,楽しいと感じたりするとき,必ず,言葉を使います。日本語という言葉(言語)を使います。言葉があるから,私たちは人間であり続けることがいられるのです。言葉があるからこそ,自分が自分として存在するのです。

 卒業する皆さんには,「言葉を大切にする人」になってほしい。「自分の言葉に責任を持つ人になってほしい」と願ってやみません。

「言」という漢字は「辛」と「口」とを組み合わせた漢字です。「辛」は,刑罰として入れ墨をするときに使う大きな針の形を表します。「口(サイ)」は,神への誓いを書いた文を入れる器(うつわ)」を表します。つまり,「言」という漢字は,「誓いや約束を守らないときには,入れ墨の刑罰を受けます」という厳しい誓いを示した字なのです。私たちが話したり,書いたりする言葉は「もしも嘘があれば,入れ墨の刑罰を受けるほど厳しいもの」だと言うことができるのです。「信用の信」は,「言」に人偏を付けて「信」としています。「人の言葉にうそ・いつわりがない。人を信じる」という意味になります。 私たちが,毎日使っている言葉にはこれほどの重みがあるのです。このことをしっかりと頭と心に染みこませて下さい。「言葉の葉という文字」は,まさしく木の葉のことです。木の葉の様にうすいものを表します。現代社会では,言葉は木の葉の様にうすっぺらいもののようにとらえられがちです。しかし,このうすっぺらに思える言葉にこそ,その言葉を使う人の,人柄や人格,つまり人間性がにじみ出るものはありません。

 言葉は時に人を傷つけ,人をだます事もあります。逆に言葉に勇気づけられること,感動することもたくさんあります。言葉に責任を持てる人,言葉を大切にする人になってください。

ご卒業おめでとうございます。