生きている言葉たち
そもそも「KY語辞典」をしらない方がほとんどではないでしょうか。JK(女子高生)を中心とした若者たちに急速に浸透し始めているローマ字略語を「KY式日本語」と言います。「KY語辞典」とはそれらの言葉を集めた辞典の事です。
「KY」とは「空気が読めない。つまりその場の雰囲気が分からない」ことをさします。他にも,「3M- マジでもう無理」 「AM - 後でまたね 」「MK5 - マジキレる5秒前 」「QBK - 急にボールが来たので」「WH - 話題変更」などのように,ローマ字表記の語頭から作られているようです。
子どもの頃,親しい友だち同士の間にだけ通じる言葉遊びをしたことがあります。集団内にだけ伝わる暗号のような言葉を作り出して遊んだものです。それらの言葉を「隠語」とも言いますが,その発展でしょうか。携帯文化の中で,集団内,あるいは内輪という場や概念がどんどん解き放され,隠語だったものが自由に空間を飛び回る時代。そして,その奇抜さや未知の言葉という新鮮さに,まだ多くの人がしらないという刺激に,多くの若者が飛びつくのでしょう。いや 若者だけでなく,「OO」(おじさん・おばさん)たちも,その“乗り”に遅れまいとしているのが現代かもしれません。
「KY式日本語」だけではありません,「ビミョー」「フツー」「やばい」も,日常的に,本来?の意味とは違った使われ方がしています。
自分の意見をはっきりと言いたくないとき,あるいは自分の思いをうまく表現する言葉をもたないとき,「ビミョー」などと,うまくごまかす言葉として使われているようです。「フツー・ベツニ」も同様。逆に聞かされる方にとっては,何ともIK(イラッとくるIratto Kuru)言葉ではないでしょうか。
「やばい」はもともと「危険,都合が悪い」と解釈されてきました。しかし「このパスタ,超やばい」となると,「このパスタは非常に美味しくて,自分がどうにかなりそう」という気持ちを表していることになるそうです。つまり,「パスタがやばい(危険)」のではなくて,「パスタを食べた自分の心が(美味しすぎて)危険」だということのようです。
さてさて,先ほどのJKたちの会話,翻訳するとどうなるでしょうか。
いくつかの「KY式日本語」をあげておきます。
CB 「超微妙 」 HK 「話変わるけど」 IW 「意味わかんない」 JK 「女子高生] SKN 「そんなの関係ねえ」 WK 「しらけること」 NW 「ノリが悪いこと」 SKN 「そんなの関係ねえ」 IK 「イラッとくる(Iratto Kuru)」 WK 「しらけること」 NW 「ノリが悪いこと」 CIK 「場違いな人。場の雰囲気から浮いている人のこと」 |
追記
これらの言葉を使う、いえ使わざるを得ないのが今の若者心理かもしれません。
これらの言葉を,見つめていると切なさをかんじませんか。若い世代の,若者たちの心模様がありありと浮かんでくるような気がしませんか。「他人との人間関係をうまく築くことができない」,「自分は人にどう思われているのか」,「よく思われているのだろうか」という不安感が漂ってきいませんか。また,「自分には自分なりの考え方や価値観がある。それを他人に伝えていいのだろうか,押しつけたくはない」という気遣いがあるように思えなくもありません。現代はそれほど生きにくい時代になったのでしょうか。
言葉は,人と人とを豊に結びつけるものであったはずなのに,その言葉に,若者たち,そして子どもたちが悩むとは。様々な体験や経験を通して,人や自然との交流を通して,豊かな言葉,すばらしい日本語と接する機会を,身につける機会を,作っていかなければなりません。