7月18日の夜,西陣金襴青年会の皆さんによって,本校・郷土資料室の高機に ジャカード機が取り付けられました。 |
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ジャカードは西陣織の模様を織るために,経糸1本1本の上げ下げを細かくコン トロールする機械です。ジャカードに紋紙を通すことによって,紋紙の中に入れら れたデザインの情報を,ジャカードが紋紙を読み取ることによって経糸の上げ下げ をコントロールし,さまざまな色の横糸が通され,複雑な西陣のデザインを織り込 んでいきます。 |
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このジャカードには,400本の紋針がついており,紋針に経糸を通す綜絖(そう こう)を吊り下げます。 西陣織は,このジャカード機の導入によって,より精細な意匠の織物を生産する ことができるようになったのです。またその生産性も飛躍的に向上させました。 ジャカードができるまでは,西陣では「空引機」(そらびきばた)を使っていました。 空引機は,機を織る職人と,もう一人が機(はた)の上にのって経糸を引き上げる 役割をして,紋様織をしていたのです。 |
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現在では,織機の機械化とともに,紋紙を使ったジャカードは大変少なくなって きました。代わりに,紋紙の情報は,コンピュータ制御のフロッピーディスクの中 に入れられるようになっています。 |
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これまで室町校の織機には,このジャカードは設置されていませんでした。 教室の天井が低いとの理由で,所有しているジャカードを取り付けることが できなかったのです。 |
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このたび,西陣金襴青年会の皆さんのご協力により,本校の織機にもジャカード を設置し,模様を織ることのできる織機にしていただきました。この日は,西陣金襴 青年会の会員の皆さん12名が来校し,ジャカードの取り付け作業をしていただきま した。 また,青年会の皆さんは,夜間の時間を利用して,この機で手機(てばた)の勉強 会をされることになっています。 さらに,子どもたちによる紋様織もできるようになります。 |
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ジャカード機は,1804年,フランス人ジャカール(1887−1985)によって発明 されました。この機械の名前も,ジャカール( J.M.Jacquard)に因んでいます。 ジャカード機も紋織機械の一つで,経糸(たていと)を1本づつ単独にコントロール して,複雑な組織や紋様を織るのが特徴です。 ジャカール機とも言われます。 このジャカード機が日本に輸入されたのは,明治になってからです。 明治5年(1872年)佐倉常七,井上伊兵衛,吉田忠七がフランスへ留学し,翌年 に20数台のジャカードを持ち帰りました。翌明治6年,伊達弥助,早川清七が渡欧 し,2年間にわたってヨーロッパ各国の織物業界を視察します。この時にも,オース トリア式のジャカードを持ち帰っています。明治8年には,川原町二条にあった織殿 で,先に持ち帰ったジャカードの使用法について,佐倉,井上が紹介しています。 明治10年には,荒木小平によって,国産による初めてのジャカードが製作されま した。 その後,明治13年頃から西陣でもジャカード織が徐々に広まっていきます。 明治15年(1882年)には,近藤徳太郎がフランスより帰国し,ジャカードの完全な 使用法を伝えました。 明治28年(1895年)の資料によると,西陣では在来の織機7800台に対して, ジャカード機が7086台とほぼ半数に近い広がりを見せています。その3年後には, 織機のほとんどは,ジャカード機となっています。 このように,応仁の乱後にはじまった長い「西陣織」の歴史のなかで,明治の頃, 外国から進んだ技術を導入することによって,さらに洗練された西陣織が生産さ れることになったのです。 |
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写真:平成14年7月18日・室町小学校・郷土資料室 |