室町校の歴史

平成15年3月12日

昭和9年9月21日,室戸台風が京都を直撃,室町校の校舎が倒壊

 政川さんが室町校を訪問された翌日,3月3日,奇しくも,室戸台風が学校を襲った
時に室町校に在職され,担任の先生をされていた山広(旧姓・伊藤)先生より,その
当時のことを記したお手紙をいただきました。
 これは,室町校卒業生で校区にお住まいの松下辰明さん(昭和15年度卒業)に台
風時のことをお聞きした折,確かな記憶がないとのことで,その当時の担任の先生に
連絡をしていただき,原稿をお願いされたものです。
 山広先生は,ご退職後,広島の方に転居されています。まさか,その当時在職され
ていた先生から取材することは難しいことだと思っていましたので,この原稿をいただ
いた時,大変感激しました。本当にありがとうございました。 
 先生の原稿から,室町校と教え子たちを想われるお気持ちが伝わってきました。

69年前のこと

元室町尋常高等小学校教員・山広 実美(旧姓・伊藤)

 その日の天気模様も別に平日と変わりが無かったので、いつもの通り授業を
していました。2階建ての木造校舎で運動場に面していたので南から吹いてくる
台風はもろに直撃するのでした。私は、その校舎の2階にいたので、突然の台
風に驚くひまもありませんでした。教室の窓ガラスがガタガタ揺れ出し、これは
危ないぞと直感しました。隣の教室では、窓ガラスが吹き飛ばされて、ものすご
い響きでした。児童たちもびっくりしてワーッと大声を上げ、度肝を冷やしました。
 顔はまっさおです。私は、汽船の甲板に立っているようでした。大波に揺れて
いるようで、からだが右に左に倒れそうです。これは大事件だと思った瞬間に、
隣の教室から児童一同が廊下を走って逃げて来ました。私も、「かばんに勉強
道具を詰めて、講堂に行きなさい。ころばんように、用心して」と言って、私の組
も全員避難しました。
 窓ガラスの大半は吹き飛んで、教室はものすごく揺れていました。幸いに、
全校職員児童一人も怪我無く講堂に集合しました。校長先生から指示があり、
児童全員は無事下校しました。外は、トタン板や木の枝、ごみ屑、時には屋根
瓦も吹き飛ばされていました。立命館中学校の生徒は、多くはバケツをかぶっ
て下校していました。さて、私たちが立ち退いた校舎はどうなったでしょうか。
 運動場に面している校舎一棟は北側に傾いて、今にも倒壊寸前です。
ああ危なかったなと固唾をのみました。やがて、立入禁止の網が張りめぐらさ
れました。大きな丸太棒が校舎の所々に立てられて、やっと校舎を支えました。
教室の机なども全部取り出されて、講堂に運ばれました。講堂をいくつもに仕
切って仮教室が出来ました。その他、特別教室も普通教室となり、どうやら翌
日からの授業にめどがつきました。運動場に面していない他の棟の校舎は、
少々の窓ガラス破損の程度で被害は軽微でした。室町校以外の他の学校は
倒壊したりして、かなりの被害がありました。室戸台風は、1934年(昭和9年
)9月21日、高知県室戸岬に上陸した超大型の台風で、全国的に死者、行方
不明者は実に3066名の多数であったと言います。
 私も天災の恐ろしさに出会ったのはこれが初めてです。その翌年、市の特別
の計らいのおかげで、室町校は旧木造校舎を全部撤去して、コンクリートのモ
ダンな立派な新館に改築されました。
 現在の校舎は、平成になって、更に新しく建て替えられたものです。世の変
遷をつくづく思う事です。風速60メートルの,あの台風は,今から既に69年
前の昔ですが,時折思い出されます。
 当時の児童は,皆純真で,明るく,元気に満ちて,いじめなどは無かったの
です。とても良い平和な時代だったと思います。その当時は,室町尋常高等
小学校で,尋常科6学年,高等科2学年でした。その他に,女子だけの補習
科があって,主に裁縫・家事等を教えていました。市内でも大所帯の小学校
でした。私は,室町校に9年間お世話になり,いつも室町校を懐かしく思い出
しています。
 室町校よ,ありがとう。卒業生よ元気でいてください。
                                (平成15年3月1日記)

昭和9年9月21日風災記録

 学校の保管庫に,この台風による被害を記録した報告書が残されています。
「昭和9年9月21日風災記録(市へ提出セルモノノ控・永久保存ノコト)」と題名が
記されています。併せて「京都府暴風雨調査報告書」も一緒に綴じられています。
 この記録によると,台風の被害は甚大で,京都府下でも,死亡者200名,負傷者
1200名という大きな被害となっています。
資料:室町尋常高等小学校「昭和9年9月21日風災記録」/室町小学校所蔵