室町校の歴史

室戸台風襲来の時

昭和9年9月21日室戸台風が京都を直撃・室町校の校舎が倒壊

平成15年3月6日

 昭和9年9月,室戸台風が学校を襲った時に,2年生だった政川
さんが学校を訪れ,その時の様子について語っていただきました。

 3月2日に,本校の卒業生である政川忠男さん(昭和
14年度卒業)が亀岡市より室町校を訪ねてこられまし
た。
 卒業以来初めての訪問で,昭和15年3月以来だとす
ると63年ぶりのことになります。
政川さんは「卒業記念帖」という古い卒業アルバムを持
ってこられました。そのアルバムは,長い歳月の中で,
雨に打たれたりして,ずいぶん痛んでいました。
その卒業記念帖の最初のページには,完成したばかりの
新しい校舎の写真が載せてありました。

 この校舎は,室町校第2代目の校舎の写真です。
 この写真から,話題は室戸台風の時の話になりまし
た。
 わたしも,学校に大きな被害をもたらした室戸台風の
時の様子をぜひ知りたいと思っていたので,政川さんの
思い出をたどりながらのお話を興味深く聞かせていただ
きました。
 以下は,政川さんのお話の要旨です。

「台風が来たとき,私は2年生でした。2年生は6学級
で,2年生の子どもの数は250人ぐらいでした。
 男子のクラスが3学級,女子のクラスが3学級ありま
した。私は,2年は組でした。
 2年生の教室は,寺の内通りに沿って2棟並んで建っ
ていた木造校舎の北側の校舎(北校舎)1階にありまし
た。
 台風の日は,朝から雨は降っていたかもしれませんが
荒れた天候ではなく普通に登校しました。
2時間目は,算術の時間で,掛け算の九九を勉強してい
ました。算術の時間が始まってまもなくすると,東側
から吹いていた強い風のために,窓ガラスが割れだし,
瓦が飛び始めました。その後,突然,風向きが突風の
ような強い南からの風に変わりました。
 危険を感じられた担任の先生が「机の下に入れ」と,
おっしゃいました。たぶん先生は,教壇の所に立って
おられたので,南側の窓から,南校舎が傾いてくるのを
見られたのかもしれません。つぎに,先生は「にげよ」
と指示されました。教科書や学用品などはそのままにし
て講堂に避難しました。講堂に避難するときは,死ぬか
もしれないと思いました。校舎から講堂に避難するとき
に,南校舎を見たら,校舎が大きく傾いて見えました。
講堂に避難するときには,強い風も止んでいたように思
います。
講堂に入ると,先に多くの子供達が避難していて,講堂
の中は,人で一杯でした。
 この後,子ども達はすぐに下校になりました。
 今出川新町の家に帰る途中,道には瓦が飛んで割れた
り,近くの工場が倒れたりしていました。
 その頃は,現在の同志社大学新町校舎は日本電池の工
場でしたが,この工場でも建物の倒壊で亡くなった人が
いたと聞きました。私の記憶では,台風の翌日は学校が
休みになったと思います。
 台風のために,校舎が傾いたので使えなくなって,
講堂を木材で仕切って教室にしたり,一部の子ども達は
烏丸中学校の教室を借りて授業をしました。
2年生も烏丸中学校に行きました。中学生と同じ校舎で
授業を受けました。
 その後,2棟の木造校舎は解体されました。
 昭和11年に新しい校舎が完成して,4年生の時に新
しい校舎に入りました」


 室戸台風による校舎の被害は,室町校の歴史の中では大き
な出来事でした。これまで,区内におられる卒業生の方にお話を
お聞きしたいと思っていましたが,その当時のことを覚えておられ
る方がなかなか見つかりませんでした。政川さんのおかげで,
当時の在校生のお話が聞けたのは大変に嬉しいことでした。

写真:平成15年3月2日撮影・室町小学校校長室