明智光秀が本能寺の変で織田信長を討つにあたり、愛宕山に詣で、その武運を祈願したとされています。
「明智越え」は、亀岡から愛宕山へ参ったときに通った道と伝えられています。
水尾・保津峡間の旧道から明智越えに入ります。
登り初めはとても急な坂道が続きます。
尾根に出るとなだらかな道が続きます。下からは、想像できません。
幅も広く、軽トラックなら走れそうです。馬も2頭並んで通れそうです。
途中、見晴らしのいい場所がありました。京都市内が見渡せます。
保津に近い下り坂にかかったころ、清和天皇陵と書かれた看板がありました。
水尾にも清和天皇陵があります。どんな関係なのか、調査することが増えそうです。
いよいよ保津です。
明智光秀は、こちらから水尾へ抜けたのでした。
探検を終えて
明智越えは、登りと下りがとてもきつい道でした。でも、尾根まででるとなだらかで、とても広い道でした。
これだけの広さがある道なのだから、昔は大切な道で、人の行きかいも多かったと思われます。
歴史の舞台となった道が、私たちの近くにあることにおどろきました。
また、清和天皇陵のこと、明智光秀のこと、調べてみたいことができました。