桂小学校

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学校の歴史

桂小学校・・・校名の由来  学校の沿革へ

 桂という地名は,古地名『葛野』からきた説と,楓の木が多く茂っていたからだという説の2つがある。いずれにしても桂という土地は,京の都を目指す歩き疲れた旅人にとって,ようやく都の入り口に着いたという安堵の気持ちを起こさせた地である。

 その昔,この地区には二つの村があったと記されている。その一つは徳大寺村と呼び学区の東側にあたり,もう一つの村は千代原村と呼び学区の西側にあたる。中世の頃,徳大寺村というのは妙法院の領地であったと古い書物に記されている。江戸時代には,村の西向寺で正月8日,国家の隆昌を修正会が開かれ,明治の中頃までは昔の様を伝えていたようだ。現在は,2月に行われている。

 また,観世音菩薩の徳を講賛する観音講が昭和の初めまで続いていたらしい。千代原村は,中世には下桂庄の庄域であったらしく,朝原とも呼ばれていたという。今はなくなっているが,観音寺という寺があり,そこで正月18日,修正会が開かれており,また観音講がこの村でも昭和の初めの頃まで続いていたそうだ。明治の頃の調べによると,茶や白瓜や菜種が採れたとあり,それを京の町まで売りに出たと思われる。