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【京都市青少年科学センター】

明延鉱山神子畑選鉱場 -日本金属鉱山史の証人-

 現在の日本には,ほとんど操業している鉱山はありません。金属資源のほとんどは外国からの輸入に頼っています。しかし,日本の鉱山の歴史は古く,奈良時代には銅などの鉱山が開発され奈良東大寺の大仏建立の際にも献上されています。戦国時代になると,各地の大名が軍資金を確保するため,金銀の鉱山の開発・領有に力を費やしてきました。さらに江戸時代のある時期,日本は有数の銀銅の輸出国だったこともあります。

 明治に入って外国から新しい技術が導入されると,さらに多くの種類の金属鉱山が開発されるようになりました。京都府内では丹波地方のマンガン鉱山が特に有名で,外国にも輸出され,「TANBA」という言葉がマンガンのブランドになっていたこともあるようです。他にも鐘打鉱山のタングステンなどが有名です。

 このように日本にはさまざまなタイプの鉱床が発達し,たくさんの鉱山が開発されたのですが,昭和50年代くらいから,まだ資源が残っているにも関わらず,次々と閉山されていきました。なぜでしょうか?

 日本の鉱山は規模が小さく,鉱石を掘り出すのに地下深く坑道を掘らないといけません。諸外国の大規模な鉱山では日本よりずっと安い採掘コストですみます。このように価格面で外国の鉱山に太刀打ちできなくなったため,まだ採掘可能な鉱山が次々と閉山になったのです。

 今回話題に取り上げました兵庫県の明延鉱山は世界的に有名な多金属鉱脈鉱床です。日本最大の錫鉱山で日本の産出量の90%をしめていました。他には亜鉛,銅,鉛なども産出した日本有数の金属鉱山でしたが,鉱山不況のため昭和62年に千年以上の歴史に幕を閉じました。この明延鉱山には神子畑選鉱場という東洋一の規模を誇った選鉱場がありました。
 選鉱場とは鉱石の中から金属を多く含む有用な部分を取り出す所です。明延鉱山で掘り出された鉱石は,粗砕場でこぶし大の大きさに砕かれます。そしてグランビ鉱車と呼ばれるトロッコで神子畑選鉱場に運ばれ,ロッドミルやボールミルという機械で1mm以下に細かく砕かれます。その後,鉱物の疎水性を利用した浮遊選鉱や比重の違いを利用した比重選鉱という工程を経て,金属成分を多く含んだ精鉱を取り出し精錬所に送ります。


 神子畑選鉱場は日本の鉱業のシンボルともいえる建物でしたが,鉱山が閉山になって20余年が経ち老朽化がすすみ倒壊の恐れが出てきたため,平成16年5月に解体工事が始まりました。鉱山がほとんど閉山されてしまった現在,日本にこのような大規模な施設は他にないため,保存を望む声もありましたが惜しい限りです。しかし選鉱場への上り下りに使われたインクラインやシックナーと呼ばれる精鉱を取り出した後の廃液を処理する施設,各種の機械類は保存する予定だそうです。


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