総合的な学習の時間の学習を深めその成果を発表する目的で人権劇をすることにしました。
その学習をより充実したものにするために大阪人権博物館に行くことにしました。
一度行っただけでは、十分な学習はできませんがここでの学習をきっかけとしてさらに劇の取り組みを核にしながら深めていきたいと考えています。

名前 感想
プリンセス・プリン  女の子は生理があるので、血でけがれているからとか子供を産む時に出血するからという理由で差別されるということがあったということが分かりました。その例としてトンネル工事の時にトンネルの中には女の人は入ったらいけないとか、すもうの土俵に女の人が上がってはいけないとかお御輿を女の人はかついではいけないとかいう差別があったそうです。今もあります。それで私は考えました。何で女の子は生理ガあるからという理由だけで差別されなあかんのかと考えました。それのどこがいけないのだろうか。女の人が、赤ちゃんを産んで出血をしてけがれるなら男の人はだれから産まれてくるのか聞いてみたいです。今はそんなおかしい差別は少なくなったけど、でも差別はまだまだ残ったままだということがわかりました。
 他にも中世の町の様子で町に住むことができなかった人がいました。それは猿まわし まんざい師の人たちでした。私は面白いと思うけど何で差別されているのかと考えました。そして差別されている人は差別に負けない生き方で生きている人達がいたこともわかりました。このことがとても大切なところだと思います。
Dr.ニャン  まずリバティー大阪にいって、中世のコーナーでまんざい師や猿まわしなどが同じ町の中に住むことが許されてなくて差別されてて「へーなんでそんなことするんだろう」と疑問がわきました。「今はまんざいはテレビなどにでているけれど昔はなんで差別されていんだろう。まさか今でもそんなことがあるのかどうかな」ど疑問だらけでした。ほかにも女性差別などがありました。
 昔いろいろ差別のことがありましたが、その中でもわたしが一番なくなってくれたらよかったのにと思ったことは、差別かい名のことです。それは死んでも墓石に差別の名前を彫られていつまでも人々に差別されていることです。差別をされて死んでも差別からにげられないのでどうしてそんなことがあるのかと思いました。わたしがもし差別されている人だったら差別した人をうらんでいたと思います。
 次に障害者に対する差別について学びました。水俣病の話を聞いたとき歩けなくてしびれてて苦しそうでわたしたちはのびのび暮らしてるけど、水俣病の人は体は子供のままで大人になれなくて大変だなあと思いました。そして「なにかしなくては。」と思いました。そしてわたしがすごいと感じたのはおばあさんが字を覚えたばかりなのに作文を書いててすごいと思いました。おばあさんおじいさんは字を覚えてそれを書いてうれしかったんだと思いました。そのうれしさを感じたいです。
ゴン・ガバチョ  僕はリバティ大阪へいって識字学級のことが少しわかりました。昔生活が苦しくて学校に行けなかった子供がいました。そして子どものとき勉強ができなくて字が読めず仕事にもつけませんでした。そしてやっと大人になって字を覚えるためにもう一度学校に行きました。(字をおぼえられなくては人にばかにされるなんてまちがっていると思いました。)そして識字学級で勉強している人と、学校へ行って字を知ってる人とはちがう苦労がありました。だれよりも勉強をがんばってたから、苦労しながらも楽しいこともあったと思います。。僕も勉強を頑張りたいです。
まぐまたいし  ぼくは、リバティ大阪にいって女性差別のことや民族差別について学びました。民族差別では、アイヌ民族の人が日本人として併合されたときに、ある時は日本人だからという理由で税金を取り立てられたりして都合よく利用され、ある時はアイヌ民族だからと差別されたりしました。不平等な取り引きもたくさんあったそうです。他にもいろいろな差別をされ続け、一生差別をされたていたんだなぁということに気がつきました。そんなことは学習するまで全然知りませんでした。その他に識字学級について学びました。今ぼくたちは、学校にいっているけど昔は、子供を学校に行かせるお金がなくて子供が学校に行けず字を覚えることができないことがありました。だから大人になってからもう一度学校に行って文字を覚えようとがんばっている人たちがいます。それが識字学級です。今もどこかで夜にあつまって一生けん命勉強をしています。昔、太鼓を作ると血をさわることで「けがれ」が発生するといわれてきてどんなにすばらしい太鼓でもどうどうと表に名前を書けず裏に名前を書いたという本当の話もあります。ぼくは、人一倍努力して人一倍技術を持った人がどうして差別されなきゃいけないんだろうと思いました。今は、血の「けがれ」の差別は、なくなったけどまだまだいろいろな差別があるので悲しいと思います。これからは、差別そのものをなくしていくためになにができるか考えて行動していきたいです。
ピーチパイ  私は、人権博物館にいって江戸時代に身分制度があって迷信やおきてなどを理由に差別されてあまりいい仕事につけず身分のよくない者として、差別されて、のけ者あつかいされていました。その一つとして、差別戒名があります。死んだ人は戒名といってもう一つの名前をもらいます。その名前に差別の文字が刻まれていました。そのためお墓を見たときに差別戒名があれば、その人は差別されてた人だと分かるようにした。私は、死んだ人にまで差別しなくてもいいのにと思いました。第一差別自体がおかしいのです。でも差別をなくし、差別されている人の立場に立って努力をしている人だっているんです。それに、江戸時代は太鼓を作る人も差別されていたのです。なぜかというと太鼓は、牛の皮でできているから牛を殺すと血でけがれると言われてるからです。そのせいで、太鼓を作った職人の名前は、けがれていると言われるから自分の意志で名前を太鼓の内側に書き、努力の成果を太鼓の中に残したのでした。 すばらしい技術や仕事をしながらもこうして差別とたたかっていたことに当時の差別の厳しさを感じました。

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