差別や厳しい生活の結果、学校に行くことができず文字を学ぶ機会を奪われた人達がいました。
その人達が、大人になって中にはおじいさんやおばあさんになってから字を覚えるために勉強しているそうです。
日本の国だけでも200万人、世界中では9億人も文字の読み書きができない人がいるそうです。
識字で文字を勉強している人達の作文を読みました。
一文字一文字心をこめて書いておられるようすが目に浮かびました。
書かれている内容にも感動しました。
在日外国人問題についても学びました。
どうして日本に韓国・朝鮮の人が多いのか。どんな差別があるのか。
韓国・朝鮮のすばらしい文化や知恵についても学びました。
長い歴史のなかで日本とどのような関係があったのか。
隣り合う国どうし仲良く力を合わせてお互いの国の発展と交流が進めばいいなあと思いました。
今ならだれもが学校に行って勉強するのは当たり前のようだけど昔は家の事情で手伝いや子守りをして学校に行くことができずにいた子どもがいたそうです。
学校に行きたくても行けない子どもの気持ちや学校に行かせてやりたくても行かせてやれない親の気持ちについて考えました。
なぜそのような現実が生まれたのだろう。どうしてなんとかできなかったのだろう。いろいろ考えました。
そこに差別があることをはじめて知りました。
住む場所や職業で人を差別することは絶対にゆるせないと思いました。
今でも女の人が入っては行けないところがあるそうです。
どうして女の人は、だめなのかその理由がはっきりとは理解できませんでした。
男だからとか女だからという理由で分けるのは、お風呂屋さんみたいなところならわかるけれど・・・
でも日本だけでなく世界に目を向けてみると女だからという理由で自由に生きる権利や学校にいって学ぶ機会を奪われている人がたくさんいるそうです。
それが新たな差別につながっていることもあると思いました。
死んだらどうして名前を変えるの?
戒名と言ってね。・・・
その戒名にまで差別があったんだよ。

なんてひどいことをするんだろう。
死んでからも差別からのがれることができないなんて許せない。
雌牛の皮をつかったたいこのすばらしさとそれを作った人の技術の高さとほこりを持って仕事をされていた様子がよくわかりました。
総合的な学習の時間に取り組んできた人権学習の大きな柱になる活動でした。
今まで学んできたことやこれから課題を持って学習していく上で大切にしたいことなどいろいろと人権について考えられる資料がたくさんありました。
本物との出合いのなかで、「正しく知る」こと、「正しく伝えること」の大切さや現実の重みを実感することができました。
まだまだ知らないことばかりでした。
予定の時間を過ぎても、まだまだ見たい知りたい調べたいことがいっぱいありました。

 中世の民衆の様子について学習しています。

 








2時間半があっという間でした。3日間一日中勉強しても足りないぐらいだといわれたのがよくわかりました。もっとゆっくりと見たり聞いたりしたいなあと思いました。
また来てみたいと思いました。
とてもよい勉強ができました。みんなにも紹介したいなあと思いました。