私たちの学校は、「日本で最初の学校だ」と校長先生は創立記念日に必ずおっしゃいます。
けれども,社会科の資料集には,日本一古い学校として「柳池中学校」がのっています??
いったいどちらが古いのか,聞いてみるとこんな新聞記事があることをおしえてもらいました。

1990年5月15日 京都新聞より
京都市東山区にあった弥栄尋常小学校(現・弥栄中学校)のOBの方から,「新聞に中京区の柳池尋常小学校(現・市立柳池中学校)を,日本最初の小学校とする記事があったが弥栄小のまちがいではないか」と問い合わせがありました。 両校の日本最初論争は、かなり以前からあります。争点になるのは、両校の開設年月日です。柳池小はあらゆる記録とも「明治2年5月21日」(当時は陰暦)で一致しています。弥栄小は同年の3月10日と7月22日の2通りが出てきます。弥栄小を「3月10日」としても,見落としてならないのは,その3日前の出来事です。
3月7日、遷都のため明治天皇は東京へ出発され,京都市中は失意の底にあったと想像されます。小学校の開校式があったとしても,公式に認められるような状況だったかどうか・・・。 柳池小の開校式は,府知事以下多数の来賓を集め公式に行われたことが記録からも明らかです。でも非公式とはいえ,あくまで開校の日付を尊重すべきなのか。判定のポイントはどうやらそのあたりにありそうです。 日本の学制頒布は,明治5年です。しかし,京都市(当時は府)では全国に先駆け,明治2年に学校制度(番組小学校)の創設に着手。同年末までに計64校が開設されました。当初、御池小は上京第27番組小学校,弥栄小は下京第33組小学校の名で呼ばれました。 これらの学校は,いずれも保護者や地元の篤志家が資金を出しあい,自らの力で建てたのでした。両校の開校にも,熊谷直孝(柳池),杉浦治郎右衛門(弥栄)といった先人の功績がたたえられています。京都100年の大計をにらんで学区制教育の礎を築いたそれら先人の苦労を思うと,開校の後先を論ずるのは、なんだかちっぽけに思えてきます。あくまで「日本最初」にこだわるなら,沼津市にあった沼津浜学校付属小学校
(明治2年1月開校)を挙げる説もあります。この学校を卒業したのが,琵琶湖疏水を設計した田辺朔郎博士で,京都近代化の貢献者になったのも不思議な縁といえそうです。
OBの証言
弥栄尋常小学校大正8年卒・(84才)
「当時の町会所を改修して開校した、と聞いています。学校では,毎年3月10日に創立記念の式が行われました。校長先生の訓示の中にはいつも,『わが校こそ日本で最初』という言葉がありました。同級生会は今も同じ日にやります。」
柳池尋常小学校大正11年卒・(80才)
「こちらは、当時あった種痘所を学舎にして、授業は慶応4年(明治元年)9月から始めているんですよ。後にできた各校のモデルになったんです。戦前の校歌にも『小学校のさきがけと,世にも栄える柳池校・・・』と歌われていました。」