修学院小学校が出来る前は、とても見晴ら
しが良かったそうです。

昔、修学院校区や修学院小学校周辺には家
が60〜70件ほどしかありませんでした
ローン制度が出来てから、たくさんの家が
建ち始め、大きな住宅街となりました。
大正五年(1916)
四月一日、それまで松ヶ崎村と合同で組合格
知尋常小学校(くみあいかくちじょうじしょ
うがっこう)だったのを、修学院村立修学院
尋常小学校(しゅうがくいんそんりつしゅう
がくいんじょうじしょうがっこう)として、
独立して立てられることが決まりました。

たくさんの方の寄付や近所のお寺の土地を借
りたりして十一月二日には、立派な校舎が建
ちました。
その八年後の大正13年二月十日に、今の体
育館の場所に「三育館」が建ちました。

昭和十七年(1942)
住宅営団は、修学院地域の西部に約10ヘク
タール(十万平方メートル)の田畑を買い取
って六百戸の住宅を建てました。

一乗寺青城、松田、山端柳ヶ坪(やまばなや
なぎがつぼ)の各町です。
このころ、松ヶ崎に京都地方簡易保険局がで
き、そこで働く人達が多数のこの住宅地の入
居した為、大きな住宅街となったのです。
昔の修学院の様子です。(絵)

今の様子と全然ちがいますね。


今の修学院の様子です。
昔の様子は、絵しか用意出
来ませんでした
感想
今の修学院と昔の修学院では

全然様子が変わっていて、びっくりしました。

昔は、田畑が多く田舎だった事が、分かり、びっくりしました。

この事を調べてとても面白かったです



         五年一組 六班
修学院小学校  5−1 6班