<校下の概要>


 近代日本への一大転機となった大政奉還の行
われた二条城の西に校下を接し 明治の面影を残
すJR二条駅を含み  南は江戸時代より水運路と
して活用され 丹波よりの物資の搬入路であった
西高瀬川をはさみ 北は西院山陰線までの南北
に細長い一帯を校区とする。
       

二条城
 古来この地は 平安京大内裏に近く 当時の遺物
遺跡も多く出土している。特に 校地付近は往時の
治部省跡と推定され 平安朝期の瓦 土器類も校舎
改築工事等の際に多く出土している。また 遠く旧石
器時代と推定される石器も出土し 人間の生活が原
始時代よりこの地で営まれたと思われる。 しかしな
がら 平安朝の衰微と その後の戦乱によって荒れは
てたが いつしか人々の努力により 農地としてよみ
がえり 京都市政施行までは朱雀野村の一部となっ
ていた。その後幾度かの区画整理により現在に至っ
ている。
 現在は 時代の変遷と共に農地は宅地化し 往時
の面影はない。しかしながら校下南部は昔日 材木
等の流通域にあった名残か木材関係の工場等も営ま
れているが 貯木場も次第に宅地化し 数少なくなっ
てきている。また伝統産業に関連した繊維加工業も
行われているが 主としては宅地である。

 学校南面の東西に通じる道は太子道と称し (通称
は 旧二条通り) 往時は広隆寺への参道としてにぎ
わった。現在は丸太町通と三条通間唯一の東西道と
なり 人や車両の通行も多く 車社会の現況を反映し
て しばしば交通渋滞が発生し課題となっている。

二条商店街

新しくなった JR二条駅
開発が進む二条駅周辺