薩摩入り以後
薩摩入り以後
(1) 島津氏と琉球
島津氏は1441年(嘉吉元)室町幕府の将軍義教から恩賞として琉球国
を与えられていた。
沖縄と島津氏の関係は天正年間(1573〜92)ごろまでは友好関係が
保たれていたが、1592年(文録元)豊臣秀吉の朝鮮出兵要請から琉球王
府と島津氏の関係も悪化しさらに島津氏の財政危機という事情も加わり、つ
いに島津氏は1609年(慶長元)将軍家康の許しを得て、3000余りの
兵をもって琉球に侵入したのである。琉球は、戦いらしい戦いもなく島津氏
に降伏した。この結果、島津氏は幕府から改めて琉球を領土として受けた。
しかし島津氏は奄美諸島だけを直轄領とし、沖縄本当以南は琉球王に下付し
て、琉球王国は存続することになった。
(2) 島津氏の支配
琉球王国として存続を許されたとはいえ、薩摩藩の厳しい支配と監視を受
けることになった。島津氏は在番奉行をおいて琉球国の政治を監督し、国王
以下諸役人の任免権を握りまた薩摩藩に納めるべき租税も、米・砂糖・織布
など厳重に規定され、庶民は琉球王府と島津氏の二重の搾取のなかで明治に
までいたるのである。
(3) 島津氏の進貢貿易
島津氏が琉球を討った本心は、琉球の名を借りて中国と貿易を行なって利
潤を得るためであったから、中国に対しては、あくまでも薩摩藩との関係を
かくし、独立国とみせかける必要があった。
当時、中国への進貢船は二年に一度送っていたが、進貢船を出した翌年に
は接貢船という迎船をだしていたので、実質的には毎年貿易船をだしていた
ことになる。貿易品は琉球から芭蕉布・金銀・扇子・筆・小刀・亀甲・鰹節・
焼酎・水産物・夜光貝・塩豚・硫黄・馬・馬具・などで中国からは生糸・絹
織物・毛せん類・薬種・書籍・漆器・陶磁器・唐扇・染料・海産物・などが
輸入された。この進貢に名を借りて得た薩摩藩の利益は莫大でありのち薩摩
藩が徳川幕府打倒の中核となる実力を蓄えることができたのは、この沖縄か
らの収奪によるとさえいわれている。
(4) 冊封使の来琉
琉球王は、島津氏から王位継承の許可を受けて後、幕府に届けでたが、名
目上の主権者である中国皇帝からも琉球国王に封ずるという冊(国王に封ず
るという中国皇帝の詔勅)を受けなければならなかった。この使が冊封使で、
1404(応永11)から1866(慶応4年まで23回来琉している。ま
た冊封使接待には多大の費用を要し、その度に薩摩藩に借金せねばならなか
った。中国に属するのは名目上にすぎなかったとはいえ、日中両属の形をと
る琉球国のまことに悲哀に満ちた現実であった。
沖縄の歴史へ
ホームへ戻る