音羽の自然と歴史その26

【第26回】「両御坊道(りょうごぼうみち)」

 道標音羽小学校正門から少し南に行きますと,南殿光照寺につづく道との交差点に「両御坊道(りょうごぼうみち)道標」があります。「御坊道」というのは,東西本願寺山科別院を「御坊さん」と呼ぶところから来た名前で,音羽小学校の南側に奈良街道から醍醐街道にまで東西に通じる古くからある道です。まっすぐ西に行きますと西友の北側を通って東御坊さんの東門まで続きます。江戸時代には,大津方面から歩いてきた旅人達は,奈良街道からこの御坊道を通り,東西本願寺山科別院や蓮如さんのお墓におまいりをして,そこから渋谷街道に入って,渋谷峠を越えて京都の洛中にまで歩いて行きました。

当時は,「音羽」も,音羽小学校あたりは「上音羽(かみおとわ)」,音羽川小学校あたりは「下音羽(しもおとわ)」と呼ばれていたようです。この道標には,「蓮如上人南殿御舊地併両御坊みち」「此みちたび人のためしらす」「泉水山光照寺」「施主音羽村○○(不明)六兵衛」と書かれています。音羽村に住んでいた六兵衛さんという人が,旅人たちのために建てたものであることがわかります。かなり古く江戸時代あたりのものだと思われますが,建立年月は詳しくはわかっていません。
(地図は江戸時代末期のものの一部)
 


(記事 S.A)