音羽の自然と歴史その25

【第25回】「追分(おいわけ)」道標

旧三条街道を大津方面に歩いて行きますと,奈良街道との分かれ道に「追分(おいわけ)道標」が建っています。この場所は,ちょうど京都府京都市と滋賀県大津市との県境にあたるところで,京都側は,髭茶屋(ひげちゃや)町,四ノ宮芝畑町などがあり,大津側は追分町となっています。昔の山科は,東国と京都や奈良とを結ぶ大事な道筋となっていて,大津方面からやってきた人たちが,この場所から左に曲がって南へと進むと醍醐,宇治を通って奈良に通じていました(奈良街道)。また,右に曲がってまっすぐ西へ進むと日ノ岡峠を越えて京都の三条大橋まで通じています(東海道)。

 だから,この場所はいちばん大切な場所で,旅人たちが道を迷わないようにと,こうした道標が建てられたのでしょう。道標には「右ハ京みちひだりハふしミみち昭和二十九年再建柳緑花紅法名末徹」とあります。また,その隣にある「蓮如上人道標」は下半分が埋まってしまっていますが,「蓮如上人是より十町明和三年丙戌」と読めます。明和三年というのは1766年です。(伊勢参宮名所絵図1797)
 


(記事 Y.T)