音羽の自然と歴史その14
戦後の「四ノ宮車庫火災」で車両を焼失,困難を乗り越えた京阪四ノ宮駅の歴史
京阪電車京津線・四ノ宮駅は,四ノ宮・音羽地域の交通の中心となっています。1910(明治43年)3月28日に,京津(けいしん)電気鉄道株式会社がつくられ,1911(大正元)年8月15日に京都三条から札の辻(大津)までの間が開通し,電車が通るようになりました。四ノ宮駅もその時建設されました。
京津電鉄は,その後1925(大正14)年に京阪電気鉄道株式会社に合併し,線路も札の辻から浜大津まで延長されました。三条から浜大津までは,普通電車と急行電車(準急)が走っていましたが,四ノ宮駅は電車を溜めておいたり点検・修理したりする所(四ノ宮車庫)があり,普通電車はこの四ノ宮駅を始発にして京阪三条まで通っていました。四ノ宮−京阪山科−御陵−日ノ岡−九条山−蹴上−東山三条−京阪(京津)三条と駅があったのです。
1934(昭和9)年には急行列車も運転を開始し,京都や大津を結ぶ幹線電鉄となりましたが,戦後しばらくした1949(昭和24)年8月7日の午前4時頃に,有名な「四ノ宮車庫火災」が発生し,多くの車両を焼失してしまいました。火災の原因は,現在でもわかっていません。
京阪電車京津線は1997(平成9)年10月12日に,御陵から京阪三条までの間が地下鉄となりました。それに伴い車両も2両から4両になったので,ホームも拡張されました
(記事 S.A)