音羽の自然と歴史その13

疏水の「舟溜(だ)まり」だった四ノ宮の「重箱ダム」

 
  「四ノ宮舟溜り」

 「重箱ダム」というのを知っていますか?琵琶湖疏水の一燈園から少し西に行った所で,疏水の水がトンネルに入っている広くなった場所です。昔は疏水には舟が通っていました。そのためいくつかの「舟溜り(ふなだまり)」が建設されています。そしてその「舟溜り」のことを「ダム」と呼んでいました。
山科では3〜4カ所ほどありました。その一つに「四ノ宮舟溜り」があります。このダムは1888(明治21)年11月25日に建設され,琵琶湖から来る最初の舟溜りで,その形から「重箱(じゅうばこ)ダム」と呼ばれていました。当時からにぎわっていた四ノ宮地区の,人の往来や物資の出入りで活躍していた舟溜りでした。
続いて,「諸羽舟溜り」,別名「瓢箪(ひょうたん)ダム」があります。このダムは,重箱ダムの西側近くにありますが,現在は1972(昭和47)年に開通した湖西線工事による水路変更で,埋め立てられて,「山科疏水公園」となっています。
この「諸羽舟溜り」は主に物資の揚げ降ろしや船頭の休憩ゾーンであったと言われています。このダムは「瓢箪ダム」とも言われ,戦後,小学校に「プール」ができるまでの間,山科の小学生の夏休みの水泳場として活躍しました。当時の小学校は,山階校・鏡山校・音羽校・勧修校の4校でしたが,夏休みに入ると山科中から子ども達がこのダムで泳ぎにやってきました。監視役は育友会(PTA)の保護者で,夏休み前には共同で疏水の水を止めて「川掃除」も行われました。

(記事 S.A)