音羽の自然と歴史その12

村道範の「伏見六ぢざう」音羽校前の道を教えた道標

 
     沢村道範の「伏見六ぢざう (絵図は「伊勢参宮名所図会(1797)」描かれた四ノ宮の様子)

 四ノ宮のお地蔵さん(徳林庵)前に,「伏見六ぢざう」「南無地蔵(菩薩)」と書いた道標(どうひょう=道しるべ)が建っています。この道標は,江戸時代の元禄16(1703)年6月に沢村道範という人が建てたもので,山科では史跡となっている「五条別れ道標」(御陵)とこの道標の二つだけです。
この道標は,本当はもう少し東側の京阪電車四ノ宮駅から音羽小学校に行く道と,旧三条街道との交差点にあったものと考えられています。
「伏見六ぢざう」というのは,「伏見六地蔵」のことで,逢坂山から東海道(旧三条通)を通って四ノ宮まで来た人や小関越を通って四ノ宮まで来た人に対して,「この交差点からまっすぐ南に行って,(若宮八幡宮や音羽小学校の前の道を通って)奈良街道に出て,そこからまっすぐ南に行くと,伏見の六地蔵の所まで行けますよ」という案内です。

(記事 S.A)