音羽の自然と歴史その10
小金塚と水にまつわるお話
音羽小学校には,小金塚地域から学校に通う人も多いのですが,この土地は,もともとは山の中で,熊が出たり,行者の人たちの修行の場だったりした,たいへんさびしく,けわしい所でした。ところが,山科にだんだんと人口が増えてきて,たくさんの家を建てることになって,この山が開発され,住宅地に生まれ変わったのです。
この二つの写真を比べてみてください。これは航空写真と言って,空から音羽学区を撮影したものですが,左が昭和36年,右が昭和47年のものです。小金塚地域に注目してほしいのですが,もともと山の森の中だったところが,白く,住宅地に変わっています。山が開発されるまでは,全く静かなところで,谷間を流れる小川のせせらぎや木々の間をとびかう小鳥たちのさえずり声が聞こえるのどかなところでした。
小金塚地域は,今から44年前の昭和39年に造成工事が始まり次の年の秋には,ほぼ現在の住宅が建っている宅地ができました。そうして家の建築が始まり,入居者が増えて昭和41年9月に「小金塚自治会」として町が誕生しました。
町ができた当時は大変でした。まず,日常生活に必要な品物を買い求めるにも四ノ宮駅付近まででかけなければ手に入りませんでした。また,ガスや水道がひかれていません。ガスははじめはプロパンガスが使われていました。水道は地元の人たちが何回も京都市と交渉をして,長年をかけてやっと実現したのです。昭和42年に疏水トンネルの上にポンプが付けられて給水が始まりました。そして昭和43年に,山の脇に貯水槽をつくって給水。現在の二十号道路の北側にある巨大な貯水槽が完成したのは町ができたから十年後の昭和51年でした。小金塚は,滋賀県大津市藤尾のまだ奥にあるために,他の地域と違って水道管を通すことが難しかったのです。
(記事 S.A)