山名宗全邸宅跡学校から北東徒歩5分ほど
やまなそうぜんていたくあと
室町時代,今から600年程の昔,
サムライたちが世の中の中心で活やくしていたころのことです。
京都の町では,サムライたちが東西二つのグループに分かれて争い戦っていました。
京都の町で11年間続いたこの争いを「応仁の乱」(おうにんのらん)といいます。

その時の西側のグループのリーダーが,山名宗全(やまなそうぜん)でした。
ここは,山名宗全のやしきがあったところです。

また,この辺りに西側の地があったので,
この辺りを「西陣」(にしじん)と呼ぶようになったのです。
山名町という町名も残っています。
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