室町学区の史蹟案内

妙 覚 寺

みょうかくじ
上御霊前通新町東入 下清蔵口町

 妙覚寺は,室町学区の北西端に位置し,すぐ南側には妙顕寺があります。学区
内のお寺では,相国寺,妙顕寺と並び大きな境内をもつ寺院です。
 「寺院に珍しい武家風の大型の医薬門を構えた妙覚寺は,日蓮宗京都十六本山
の一つで,妙顕寺・立本寺とともに三具足山といわれました。北朝の永和4年(13
78年)に龍華院日実が四条大宮に創建し,文明15年(1483)に二条衣棚に移り,
日住が興隆に努めますが,天文5年(1536)天文法華の乱に遭い,他の日蓮宗の
寺とともに延暦寺の僧徒によって焼き討ちにあいます。
 その後再興しますが,天正10年(1582),織田信長を本能寺に襲った明智光秀の
軍勢は嫡子信忠の陣所であった妙覚寺を攻めたため,信忠は火を放って自刃し,
寺も焼けてしまいました。やがて,日奥は文禄元年(1592)に再建をなしとげますが
一方で不受布施説を唱えます。これは法華経の信者以外には施させないし,また,
受けさせないという主義であるために幕府から弘通を停止されます。日奥は寛永7
年(1630)に歿するまで,身延の不受布施派と論争を続けましたが,その歿後は,
受施派になります。天正19年,秀吉の市街地改造により現在の地に移りました。
 本堂。祖師堂,華芳塔堂,華宝宝塔,大門の五棟が京都府指定有形文化財となっ
ていあmすが,中でも,華宝宝塔は室町時代後期の木造宝塔で,日蓮自作という
石造宝塔を納めています。大門は,聚楽第の遺構と伝える本瓦葺,切妻造の一間
薬医門で,大梁に板蟇股を置き左右に潜戸を配した姿は堂々たる物です。
 しかし,形式手法からみると17世紀中期を下らないとされています。また日蓮筆の
盂蘭盆御書は重要文化財の指定を受けております。」(上京文化振興会発行:「上京
区の史蹟百選」より転載)転載承認済
 写真:平成13年4月撮影