室町学区の歴史ー史蹟・文化財2

「金龍水」の井戸

 室町学区は、その昔室町幕府が造営された地として有名です。足利将軍の邸宅は「室町殿」とも「花の御所」とも呼ばれ室町幕府の政所が置かれました。
 室町時代、ここは政治・文化の中心地であったのです。こうしたことから、学区内には室町時代以降の史蹟が数多く残されています。
室町時代から盛んになった茶道もその一つです。茶道宗家の表千家・裏千家も室町学区にあります。
 室町殿(花の御所)の場所は、南は今出川通から北は上立売通、東は烏丸通から西は室町通の囲まれた長方形の敷地でした。
 ところが記録によると最も規模が大きい時には、現在の室町小学校の運動場近くまであったのではないかと言われています。しかし、応仁の乱で焼失し、その後、室町幕府の力も次第に衰退してゆき
世は戦国乱世の時代へと移っていきます。
 河合家の敷地内に遺されている「金龍水」の井戸は、「花の御所」に関わる貴重な遺構であるといえるでしょう。また、「金龍水」は古くから京の名水として知られていました。昭和40年ごろまでは、茶会のためにこの水をもらいにこられるということもあったそうです。
 この「金龍水」と室町幕府敷地との距離は100メートルと離れていませんから、足利義満将軍は、この井戸から水を汲ませ茶の湯を楽しんだのでしょう。
 井戸といえば、この「金龍水」のそばの室町小学校の敷地からも多くの井戸が発掘されました。
 平成10年、室町小学校の体育館が建設された折、体育館敷地の発掘調査が行われました。この発掘調査では、室町時代から戦国時代・江戸時代の遺構が発掘されました。
 江戸時代の遺構の中からは、多くの井戸や石室などが発掘されています。
 これは「金龍水」のように、すぐれた水を利用して、酒などの醸造をしたあとではないかと思われます。
 また、今出川通衣棚上ルの畠山町には「銀龍水」があったと言われています。
 室町小学校正門の向かいにある河合さんのお宅の玄関口に古い井戸が保存されています。
 この井戸は古くから「金龍水」と呼ばれ、足利三代将軍義光公が愛用されたといわれる有名な井戸です。
 河合家では、この歴史に残る井戸を大切に保存されてきました。
 冬季は水がありませんが夏季には水が出てくるそうです。井筒が二段になっています。
 これは子供の転落防止のために、昭和5年に井筒を高くされたものです。
 井戸の中をのぞくと、上部は青々とした苔が生え、深さは約6〜7メートルはあるかと思われました。
 
  当河合家邸内にある名井

     金龍水の由緒記

 金龍水

 往昔足利三代将軍義満公の館のあった処で殿舎を花御所あるいは室町殿とも構えられし旧蹟なり
その頃義満公が愛用された井戸がそれで 金龍水にして水質軽く最も清澄にして極寒も暖かく暑中
に冷たく 汲めば一般通行人の休憩茶所と姿を変えたるを 更に大正十二年家屋を改築し その際
この由緒ある名井を後世へ保存することとせり 而して昔は紫野大徳寺大心和尚の銘文を刻みし額
面がこの井戸の上に掲げられてありしが何時のことにかその姿を消し失せしは誠の惜しき極みなり
この名水金龍水の水深は壱丈七尺位にて その周囲五尺余りにて井戸としては大きいほうではなく
井筒が二重に積まれているがこれは子供の危険防止の為 昭和五年井筒を倍に補足し 上部のツ
クネ石「人造石」が古来からの井筒である 当庭内の飛び石 燈篭 立石等の庭石も昔そのままにて
名水の傍らに老松ありて枝振り最も面白く美観を添えたるも昭和八年惜しくも枯死し 現在の若松は
その代木にして山科より移植せしものなり
金龍水は以上のごとき由緒あるものにつき永久に保存愛飲すべきものなり


 昭和十六年一月七日(皇紀二千六百一年)記録す
                                                  河  合

           苔むせる名井に
                        汲むや冬の水
                                      河合 静波


                           (河合家に伝わる資料を引用させていただきました。)