校区の史蹟・文化財3

百々橋の礎石

〜小川(こかわ)の遺構を訪ねて〜

上京区小川通寺の内

 ここは上京区寺ノ内小川。その昔、百々の辻と呼ばれました。この植込みに面したところに百々橋がかかっていました。
 小川(こかわ)は小川通に沿って南北に流れる川でした。昭和38年に暗渠化されるまで、ここに架かる百々橋が使われていました。
 百々橋は、その歴史も古く、応仁の乱の際、この橋をはさんで東軍と西軍が対峙・合戦をしたところです。現在では、現地に遺
構として四つの百々橋の礎石のうちの一つが残されています。

 百々の辻(寺ノ内小川)を100メートルほど北に行くと左側(西側)に本法寺があります。このお寺の門前に石橋がかかっています。
 現在、川はなくなっていますが、小川にかかっていた橋がそのまま残されて当時をしのばせます。この場所で川幅は4mほどあり、
川床も埋め立てられていません。この橋の幅も4m以上はありました。右下の写真は現在の小川通です。右側(東)に表千家、裏千
家があり、京都らしいたたずまいの場所です。小川はこの町屋の裏を流れていました。

 寺ノ内小川のようす。自転車がおいてある植込みのある場所が昔の小川が流れていた所です。小川は、この寺ノ内通を横切り、
百々橋の下を南に流れていました。手前の木造の建物から宝鏡寺(人形寺)の境内になります。
 小川通を南に少し下ると報恩寺があります。この門前にも石橋があります。橋の両側の川は埋め立てられていますので、この橋
だけが川が流れていたことを物語っています。
 昔の小川の場所は空き地になっていたり、植樹がしてありました。
このように現在では、小川があった当時のおもかげを残す場所は、室町学区では、この二つの橋だけになってしまいました。
「百々橋の礎石」については、「学校の史蹟・文化財」のページをご覧ください。「百々橋の礎石」