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プロフィール

平成20年2月20日現在 児童数150名
各学年1クラス+みどり学級の合計7クラス
また,ことばときこえの通級クラスがあります。


歴史

 古い記録によると,このあたり一帯は平安文化の中心地で,藤原氏一門邸宅跡になっています。
藤原良房の邸宅の染殿院があったところから,学校のあるこの町を染殿町というようになりました。
 北の端を北極,南の端を南極というように,京の都の東端にあたるこのあたりを京極通り(現在の寺町通り)と呼んでいました。ですから京極は東西南北にあったわけです。けれども南北は京極と呼ばなくなり,東の端を京極,西の端を西京極と呼ぶようになったのです。

 明治2年3月に京都から東京に都が移されました。京都の衰微を心配された明治天皇は京都市に金と米を下賜されました。この一部を基金にして区内有志が拠金をして学校を設立しました。当時は寺町通りの西を上京28番組,東を上京29番組と呼んでいましたので,開校当初は上京第28番組・29番組合併校または協立校と呼んでいました。
 その後児童数が増えて現在地に移転しました。そのころは梨木校といいましたが,後に正門を東側(京極通り)に面するようにしたことから「京極校」となったのです。


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