地域学習より



日野と法界寺



十二神将像
日野の歴史
 日野は大むかし、伏見の南に広がる「おぐら池」の岸辺に近く、けもののたくさん住む野原でした。
名前の由来について、次のような言い伝えがあります。
 この地を治めていた貴族の藤原氏が、奈良の春日野の森に似ている所なので、「春日野」と名付けて立て札を立てたところ、鹿が来て「春」の一字をなめて消してしまいました。これは、藤原氏の氏神である春日大社の怒りであるとおそれ、それ以後「日野」と呼ぶようになったそうです。
日野は、奈良時代から記録に残る歴史の古い土地です。歴史に残るいくつかをひろいあげてみました。
 鎌倉時代に、鴨長明(かものちょうめい)という人が、日野山に住んで、「方丈記(ほうじょうき)」という書物を書きました。
 浄土真宗(じょうどしんしゅう)をひらいた親鸞聖人(しんらんしょうにん)が誕生しました。
 室町時代の将軍、足利義政(あしかがよしまさ)の妻になった日野富子(ひのとみこ)がうまれた所です。




十二神将像
法界寺について
 法界寺ができたのは、今から900年以上も前の1051年といわれています。そのころ地震や火事がおこったり、悪い病気がはやったりなどして、人々はとても不安になっていました。そこで、仏様に救いを求めてたくさんのお寺がたてられました。法界寺もそのひとつで、日野(すけなり)という人が、日野一門の安全と繁栄を願ってたてたお寺です。  一時期は、阿弥陀堂に五体の仏像がならんでいたそうです。今は、その中の一体が残っています。昔から、「日野のお薬師さん」と呼ばれて親しまれています。