学校の史蹟・文化財1

百々橋の礎石(どどばしのそせき)

 烏丸通から,室町小学校へ入った所に,方形の石が置いてあります。

 この石は、その昔,小川通寺の内に架かっていた百々橋の橋脚を支えていた礎石です。

 礎石の傍には,この礎石の由来が次のように書かれています。
 百々橋の礎石
 1378年に足利義満がこの地に幕府(花御所を開いた室町時代,室町は政 治・文化の中心地でした。「小川通寺の内」の東西の通りを古くから百々の 辻といい,この辻を南北に流れる小川(こかわ)に百々橋(どどばし)がかかっていました。
橋の規模は,長さ四間一分(7.5メートル),幅二間二分(4メートル)。
この小橋が歴史に名をとどめることになったのは,応仁元年(1467年)5月,山名宗全と細川勝元の覇権争いから,対立する多くの守護大名が西軍と東軍にわかれて結集し,この橋をはさんで数度にわたって大きな合戦(応仁の乱)をしたことによります。
 この小さな橋には,戦国乱世の歴史のひとこまが刻まれています。
 小川は昭和38年頃から埋め立てられ,百々橋も解体されました。百々橋の保存を願う地域の方々のご尽力により,百々橋の橋材は,一時,本校に保管されました。
 その後,橋脚を支える四基の礎石の内,一基を現地に遺構として遺し,一基は室町小学校で保存,残りの二基は他の橋材とともに洛西ニュータウンの竹林公園に移され,昭和55年に竹林公園内に復元されました。                 京都市立室町小学校  」

現地に残された「百々橋の礎石」

 寺の内通小川(その昔、百々の辻と呼ばれた)に遺構として保存されている百々橋の礎石の一つ。